第147回 賛否両論

  • レポート
  • 2017.09.30

ある会社の取締役会で、オブザーバーとして参加されている株主から次のような指摘がありました。

その会社は主に若年層向けにネット(スマホ)上でのサービスを提供しているのですが、それについて。

 

「熱狂的に支持してくれている人がいる一方で、2ちゃんねるなどを中心に批判的なことも書かれているようです。問題ないのでしょうか。」

 

これについて社長の回答は、特に問題ないと思っている、でした。
最初は強がりで言っているのかと思いましたが、続けて

確かに誹謗中傷の類もあるが、というかそういうのが多い。
しかし、
・よく見ると、我々のサービスを使った上で、もっとこうした方が良いと言っている。
実際には「こうすればこうなるだろ、ボケ」とか書いてあるが。
それによって開発の参考にすることもある。
・本当に嫌だったら使わないだろうし、コメントもしてくれない。
・むしろ無関心でいられる方が困る。
とのことでした。

 

なるほどな、と思いました。
確かにリリースした結果、何の反応もないのが一番恐いというのは事実です。

 

人の目に触れていないのか、触れてもアクションを取る価値がなかったのかすらわからないわけです。
賛同者を得たければ否定してくる人の存在も許容しなければならないのでしょう。

 

ただ、言うのは簡単ですが、やはり悪評を書かれるのは嫌なものです。
私も、もう10年くらい前になりますが、会計士試験の受験生向けに講師をやっていたとき、あれこれ書かれました。

 

だいたいが悪口ですね。
たまに褒める人がいると、サクラだろとか言われている。

 

そもそも嘘も多い。
たとえば、私はテキストに書いてあることをそのままやっても価値がないと思い、独自にまとめた図やら記述を黒板で展開して話していました。

 

これに対して、「もっとテキスト通りやれ」という批判があり、それはわかるのですが、その一方でなぜか「テキスト棒読み」と批判する人もいるわけです。

当時の私は、若かったこともあって上記の社長のように参考にする気にもならず、
勉強すべき時に人の悪口を書いているような奴は試験で落ちてくれ、と思っていました。

 

ただ、今思うとさすがに腹も立ちませんし、自分には悪口を言うだけの価値があったのかな、と前向きに考えております。
存在感のない先生にはほとんどコメントされていませんでしたから。

 

ということで今回は、賛否両論の「否」があることは、価値を認められているが故の歓迎すべきことかもしれない、という話でした。

 

*************************** まとめ ********************************

賛否両論の「否」があることは、価値を認められているが故の歓迎すべきことかもしれない

***************************あとがき*********************************

 

最近うちの事務所でも相続の話が多くなっています。

税理士資格を持つメンバーの1人は、その多くの時間を相続税対応、それも申告対応に使っているほど。
もちろん、彼だけでなくスタッフもそれと連動して動いています。

 

申告対応とは、事前対策ではないので死亡後の対応です。

提携先からご依頼いただく案件は月5件に抑えているのですが、もっとやってほしい様子。
そこからだけでも年60件=60人です。

 

亡くなって相続税の申告が必要な人の割合は10%弱ですから、逆算すれば600人以上が亡くなっていることがわかります。

月10件くらいは、、、という打診には、いずれ、とお答えしているのですが、それだと年120人。その後ろには1200人。

 

他のお客様からのご紹介や直接のご依頼もありますから、私たちのような一事務所でも年間1000人単位の死者の存在を感じながら仕事をしているわけで、「多死社会」なのかなぁと思ったりしています。